#4『最後の晩餐の作り方』 ジョン・ランチェスター/小梨直 訳

最後の晩餐の作り方 (新潮クレスト・ブックス)
背表紙を眺めているだけでぴんと来るというか、妙な吸引力を感じるというか、自分好みの本に対する嗅覚が不思議に働く瞬間があるんですが、今回もその伝で大当たりを掴みました。古本屋で発見。しかし強力リコメンドしようにも、これももう絶版のようですね。確かに非常に好き嫌い、合う合わないが分かれる作風だと思います。特に文体。ペダンティックで晦渋、全編主人公の韜晦そのもの。うねうねと紆余曲折する半ページ以上に渡るような一文の中で主語すら途中で変わり、疑問文が平叙文で終わったりするようなぶっ壊れた文体(おそらく強烈にねじくれた性格の主人公のよりにもよって口述スタイルを模しているせいだろう)は、げてもの食いと同じで、これがツボにはまると堪らない。この文体の醍醐味は原文でこそ味わえるんでしょうが、英語圏の人でも辞書と首っ引きという有様らしいので、私には到底無理だな……。

解説は数少ないとはいえ、ネットを書名で検索すれば的確なものがすでにあるので、ここでは割愛。本書のカバーに書かれた評にもありますが、ナボコフジュリアン・バーンズ、もしかしたらジェームズ・ジョイス(私は読んだことないけど、雰囲気的に)、日本人なら奥泉光(この人もカバーに評を寄せていますが、それに乗せられたわけではなくてよ。間抜けなことに買って帰るまで気づかなかったのです)、佐藤亜紀、ひょっとすると檀一雄(『火宅の人』ではなくて『檀流クッキング』のほう)などが好きな人なら、気に入るのではないかと。とにかく、サスペンスとミステリのスパイスを効かせた極上のグルメ本として楽しめます。書中のレシピは本気で垂涎もの。読みながら「今すぐスーパーに走って材料買って帰って作りたい!」と思ったこと再三。

作品全編に満ちているのは、「隠蔽するための語り」です。まさに作品全体で、「語るに落ちる」というか。この点を顕著に示すのが主人公の語る「不在の美学」ですが、これはあちこちで引用されているので、もう一箇所、本質的な部分を、ちょっと長いけど引いてみます。

「…作品のスタイルだけが一貫して変わることなく、激しく、力強く、揺ぎないその混沌と万物流転の世界でくりひろげられる物語――といっても、もはや作品自体、物語なのか否か定かでなくなってくるのは語りの基本となる推進力、意外性、展開というものがほとんど忘れ去られたかのように感じられはじめるからです。軽い気持ちで取り入れた技法により効果を上げていた滑稽かつちぐはぐ、巧妙でつかみどころのない雰囲気が濃厚になり、徐々にプロットも登場人物も崩壊し、確実なものはなにひとつなくなり、いっそう厄介な作品となり、根底に流れる感情および不安だけが強く前面に押し出されると同時に曖昧さが増して、読者はやがて驚き呆れ、なにが起こっているのか、自分がどうなってしまったのか理解不能に陥りながらも巻措く能わず、見る間に登場人物はそっくり入れ替わりプロット、構成、話の流れ、個そのものも崩壊して最後、本を閉じたところで確信するに至るのは彼ら自身こそがこれまで見てきた際限なく暴力的な夢の主役であり、その意味するところは癒しようのない自分たちの不安以外のなにものでもないということだけ」

(p241-242)

これが「実に気持ちいい」と思いはじめたら、もう更生不可能な末期症状ですね。