路上の症候群

松山巌は『うわさの遠近法』の人、としか覚えていなくて、建築家だということは最近になって知った。この本は建築や都市・町に関するエッセイを1978年から2000年まで年代順に集めたもの。本一冊としてはかなりの分量があるけど、一つ一つは短いから、通勤のときにちびちび読み進めていた。1995年の阪神大震災あたりからようやく話題に実感としてついていけるようになる。
この人の原風景は東京の下町、路地なんだなあと、読みながらつくづく思う。文面には東京のど真ん中の一所にずっと暮らして絶え間ない変化を見てきた人の深い愛着と諦観がある。その人の原風景って、おそらく書くものや描くものや言葉にベースとして滲み出るものなんだろうな。例えば昨日読んだ高村薫の原風景は大阪の下町と港湾で、彼女が東京を書いてもアイルランドを書いても、それがなんとなく空気に溶け込んでいる気がする。
私の原風景は何だろうな。だだっ広い平野に碁盤の目の道路、レゴのように並ぶ家と、それら全部を覆う雪、なのかな。住んでいるところから山や海が見えた記憶はないから、山や海を基準に方角を掴むという感覚がない。頼りにするのは道路の十字の目だけ。だから関東に出て来た途端に方向音痴炸裂なんだな。