不敬文学論序説
ゆっくり感想を書く時間が取れないので、気になる部分を取り急ぎ抜書き。
全編を通じて本書の問題意識は冒頭のこれにつきる。
小説は原則としてあらゆるものを如何ようにも描きうる。無際限にして野放図なその欲望こそが、小説のもっとも基本的な要請であり、これじたいを否定する作家は、おそらく皆無であろう。にもかかわらず、じきに二一世紀を迎えようという現在、この国で筆を執る作家たちは、ほとんど誰一人として、同時代の天皇(あるいは皇室)を描こうとはしないし、描きだす気配すらない。
(p9)
(略)日本の哲学(若しありとすれば)も宗教も一に君主政治を根底となるなり、日本の学者は外国の君主政治を評論するに於て甚だ猛烈なりと雖も、日本自身の君主政治は之を論ずること能はざる也、之を論ずることは君主に対して不敬にして、自身に取ては危険なればなり、而して君主果たして之を不敬と認め給ふや否やは知らざれとも、国民一般の感情は直に之を不敬と認むるに躊躇せざる程社会の空気は一種の異風を帯ぶるなれば也
(「革命の無縁国」明治三九年)
(p56)
この日本の「異風」に絶望して木下は運動を離脱。一方の幸徳秋水は、
だが、現実には、木下が同志のもとを離れた後わずか数年もみずして、この国の小説の欲望を一瞬のうちに萎えさせる大事件が出来する。それはしかも、かつて木下に「君、社会主義の主張は経済組織の改革ぢやないか。国体にも政体にも関係は無い。君のやうな男があるために、『社会主義』が世間から誤解される。非常に迷惑だ」と「面責」した(『神・人間・自由』)という幸徳秋水のもとに現出するのだ。
(p59-60)
これは「大逆事件」のこと。
和辻哲郎『古寺巡礼』の政治性。
この点については、先に掲げた太田氏*1が、その特徴的な偏向を次の三点に求めながら、一事をかなり的確に剔抉している。すなわち、①鑑賞対象から、探訪地にいくつも存在する九世紀以降の作品は除外され、七、八世紀の作例にほぼ限定されてあること、②その飛鳥・白鳳・天平期に圧倒的であった朝鮮・中国の影響を軽視、もしくは無視すること、③対象作品の作者がどの国の人間であったかを執拗に問題にすること。
(p110)
岡倉天心との比較。
英語圏なる端的な外への啓発ではなく、あくまで内輪の共感を求めてむさぼられるこの饒舌の中核に、同時代的な兆候を確認せねばならない。
(p114)
「聖なるもの」の隠蔽の構造。例えば「大嘗祭」、或いは伊勢神宮の式年遷宮。
暗闇のなかで営まれる遷宮儀式の核心も天皇家直伝の秘事とされることはもとより、神宝類も容易に人目に寄せぬまま、二十年の役を終えるやただちに地中深くに「撤下」され、いまだその大半の所在は知れない。神聖さは、そのようにあくまでも隠された何かとともにある点を銘記すればよい。これゆえ、西行作とされる「何事のおはしますかは知らねともかたじけなさに涙こぼるる」なる伊勢詠が人口に膾炙するわけだが、その「かたじけなさ」はここでもまた、肝心なものの秘匿に由来し、その暗がりの裡に、伊勢神宮(ひいては「神国日本」)の起源が反復されつづけることになる。だが、それはまさに、「実はなかったはずの起源」(磯崎新*2)にすぎない。言い換えればつまり、伊勢神宮はそこで、何かを隠しているのではなく、そのじつ、隠すべき何かなどはないということじたいを隠すのである。
(p124)
深沢七郎『風流夢譚』の評価。大岡昇平、中野重治、中村光夫は否定、武田泰淳は擁護、荒正人、埴生雄高は賞賛、江藤淳は、「明るいデカダンス」と「滅亡」志向を読み取り、石原慎太郎は意外にも、
無責任と無益のきわみとしてあった「皇室に対するフラストレーション」に投じて「とても面白かった」
(p178)
村上春樹と黙説法。
最初期から一貫して、この作家が熱心に描きつづけてきた光景は、ひとことで約言すれば、たえず「僕」と名乗る人物たちの自己愛にすぎない。(中略)この「僕」の世界で、その何かは起こる。だが、その前と後で(あたかも、適度の刺激こそが皮膚と筋肉を鍛えるように)「僕」は少しも変わらぬどころか、既知の輪郭はいっそう強固なものとなる
(p240)
むろん黙説法は、あらゆる国の作家に可能な修辞であり、構成法である。が、まさにこの「特別な国家」(大江*3)でそれを使用すること。問題は、そのことの価値に、どこまでも鈍感な資質それじたいの政治性にある。鈍感であるがゆえにいっそう濃密たりうるその政治性は、当初の「ミニマリズム」から脱却し、いまは、ほかならぬ日本の小説家たる自己の「社会的責任」に目覚めてあるという当人の思惑とは、おそらくまったく逆の、本書の文脈からすれば絵にかいたような二重橋作家とでも称しうる方向に露呈するのだと換言してもよい。
(p243)