1945年のドイツ

  • 『1945年のドイツ 瓦礫の中の希望』 テオ・ゾンマー/山木一之(中央公論新社

表題通り、1945年のドイツを概観する読本。たった一年ではあるけれども、年初に始まったソ連のドイツ侵攻から、敗戦後に迎えたクリスマスまでを通史的に記述している。敗戦国としてのドイツがよくわかる本だった。
対日戦についても触れられていて、ドイツでの経緯を読んでいても、日本の戦争を想起せずにはいられない。ちなみに対日爆撃を指揮していたのはルメイ将軍。「我々は日本を爆撃して石器時代に連れ戻す」と豪語していたという。彼は同じ戦法を後に北ヴェトナムに採用した。

読んで第一の感想は、日本は分割されなくて本当に幸運だったということだ。テヘラン、ヤルタ、ポツダムで話し合われたドイツの分割案は丸っきり戦勝国の分捕り山分け合戦で、南北に分割する案、五つに分割する案、工業地帯を徹底的に破壊して農業国にする案(これはナンセンス!とすぐに却下されたらしい)など、もうそれは好き勝手な餅の絵が、戦勝国によって描かれていた。ドイツは分割統治され、その流れで東西に分割されて、冷戦を体現する存在になってしまった。後の朝鮮半島も全く同じ。

また本書の中には敗戦後のドイツを訪れた各国のジャーナリストたちの言葉が引用されていて、ドイツ国民がナチを他人事のように語り、あるいは「もう十分に報いは受けた」と忘れ去ろうとする態度を批判するものが多い。けれど、前に読んだ『アイヒマン調書』や、今読んでいるミルグラムの『服従の心理』を見ても、ナチの絶滅機構は、ナチ、ヒトラーだけの犯罪ではない。実際、フランス、ポーランド、オランダ、ベルギー、オーストリアハンガリーなどから大勢のユダヤ人が移送されている。それを黙認したドイツ人は勿論だけど、ドイツ占領下とはいえ、欧州全域で無数の人々の協力がなければ成り立たなかったはずのものだ。それを指摘せずにドイツ市民だけを糾弾するのはフェアではない気がする。


覚書き。

プロイセンは孤立させて厳しく扱う必要がある。ザクセンバイエルン、プファルツ、バーデン、ヴュルテンベルクはドイツ・ライヒから離脱させ、「ドナウ連邦」に統合させる。南ドイツはいかなる新しい戦争も始めない。しかし我々は分割をうまく行って、「ドナウ連邦」がプロイセンに惹きつけられることのないようにしなければならない。

(p164、テヘラン会談での発言)

テヘラン会談の段階ではドイツの南北分割を強く主張したチャーチルは、ヤルタ会談後にその考えを翻している。

ソ連の意図について私の疑念が残っている限り、ドイツの分割という考え方に私は強く反対する」

(p212)

そしてドイツ降伏後から冷戦が始まる。

「親愛なるスターリン閣下! 閣下が将来を東西対立の中に突き落とさないで欲しいと願っています。東西対立が世界を粉々にすることは明らかです。その場合、指導的な立場にある我々は二つの極にあって、それに対してまったく責任がない場合であったとしても、恥辱で覆われた人間として歴史に名を残すことになるでしょう。長い間、不快な関係と相互に相手方を指弾する時代が続き、政治的な対立は長期化します。それはあらゆる世界の大多数の市民の幸福にとって、危機的なこととなるでしょう」

(p222、チャーチルの書簡)

イギリスの覇権主義アメリカがそのまま真似っこして、今の中東があるんですね。