今読み中の『ヨーロッパの100年』から。

 ヨーロッパは――旅をした一年の間に気がついた――時間の中を簡単に行き来できる大陸だ。二十世紀のすべての段階がどこかでいまも繰り返されている。

(上、p11)

 イギリスほど、魅惑的な不品行が新聞を賑わす国はない。

(上、p45)

 同時にベルリンは過去も現在も、暴走する環状線(リングバーン)の電車のように揺れながら時間を移動していく街でもある。

(上、53p)

台頭してきたドイツはイギリス、フランス同様の内紛に悩むだけでなく、最も歴史の浅い国の一つだった。一八八八年にウィルヘルム二世が王座についたとき、国はまだ二十年の歴史さえ有していなかった。ほとんどの国民は自分をドイツ人ではなく、ザクセン人、プロイセン人、ヴュルッテンベルク人と認識していた。

(上、p57)

「ヨーロッパがなぜ一九一四年に戦争をはじめたのかをいま冷静に考えてみると、まともな理由が一つも見つからない。それどころか、原因さえも見あたらない」。のちに、作家のシュテファン・ツヴァイクはそう書くことになる。「観念の問題でも、現実的な国境の小さな領域の問題でもなかった。エネルギーが有り余っていたという説明しかわたしには思いつかない。四十年間に国内に蓄えられたエネルギーの悲劇的な結果だ」

(上、p66)

 ウィーンはベルリンとともにヨーロッパ大陸で最も成長の著しい首都だったが、同時に過去に固執する都市でもあった。

(上、p70)

 人はなぜ一九一四年の夏にあれほど熱心に参戦しようとしたのだろうか? ドイツでは国民の怒りは主にイギリスに向けられていた。尊大な帝国イギリスが若くダイナミックなドイツの発達を妨げていたからだ。

(上、p93)