「死の舞踏」への旅

  • 『「死の舞踏」への旅 踊る骸骨たちをたずねて』 小池寿子(中央公論新社

ヨーロッパ各地の教会壁画等に残る、骸骨と人間が隊列を組んで踊るというか練り歩く「死の舞踏」を追った、研究書というより紀行文のような感じ。ハーメルンの笛吹きもこれの一変形なのかな。

教会堂の造りについて解説があったのが拾い物だった。こういう解説ってなかなか探せなくって。文章ちょっとわかりづらいけど覚書き引用。

 まず、帝国分裂後の東ローマ帝国、すなわちビザンティン帝国と西方ヨーロッパとでは、プランや各部分のプロポーションなどが異なるとはいえ、基本的にはイエス磔刑に処せられたときの身体の形、すなわち十字架形をなしている。イエスの頭部にあたる部分はアプシスと呼ばれるが、祭壇が置かれ、小礼拝堂が設置されるなど、宗教儀式を行なううえできわめて重要な意味と機能をもって内陣として包括され、その地下には教会にまつわる聖人や聖職者たちを埋葬した祭室(クリプタ)が掘られる。この内陣と外陣(身廊)の交叉部には、腕を伸ばしたように左右に突き出る袖廊が設置され、身廊左右の空間を側廊という。
 五世紀頃から、教会堂はほぼイエスが十字架上で息絶えたエルサレムの方角、つまりヨーロッパから見れば、東の方角にアプシスを向けて建造されるようになる。堂内での儀式においてきわめて重要な、イエスの犠牲の象徴である祭壇に対する司教と会衆の位置を含め、総じて祈りの方向性の問題は単純ではないが、東向きが基本とされるに至ったのは明らかである。また北側は、キリスト(救世主の意)がいまだ世にもたらされない旧約聖書の世界、闇の世界であり、南側は救世主が到来した、光降り注ぐ新約聖書の世界を象徴している。
 いずれにせよ教会堂は、イエスそのものであり、そこに入るということは、イエスの身体に入ること、イエスと同化することにほかならない。

(p123-124)