ナポレオン、フーシェ、タレーラン

ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789―1815 (講談社学術文庫)

フランス革命期からナポレオン帝国、そしてその崩壊までのキーパーソン三人の動きと歴史を、情念(パッション)という側面から切り取った歴史読み物、かな。とにかく素人にも滅法読みやすい。ツヴァイクはじめ、いろいろな歴史家の著作の引用も多く、標題の三人のキャラクターをわかりやすく浮き彫りにしてくれる。あの辺りの歴史と人物を知りたいけど、ツヴァイクとか読むのめんどくせーというものぐさ太郎(私のことだ)には最適である。
人間は金と色だけでは幸せになれない、第三の欲求=情念(パッション)が満たされるまで人間はあがき続けるのだという切り口から、この三人の行動を追っていく。フーシェは根暗な陰謀情念、タレーランは常にイベントのプロデューサーでいたい移り気情念、ナポレオンは常に戦いを求める熱狂情念というわけ。しかし彼らにしても最初からこれらの虜になっていたわけではなく、フーシェにしてもナポレオンにしても、革命期のフランスを生き延びていく中で、あ、ちょっとこれ楽しくて止められないんじゃね、という感じで嵌っていったもので、そういう意味では環境と状況が作り出したものとも言える気がする。
しかし文句なしに一番迷惑なのがナポレオンだろう。彼の時代はフランスの男子人口を湯水のように戦争で消費した時代と言える。しかもナポレオンは戦況がやばくなるとすぐに前線を放り出して自分一人逃げ出すということをやる人で(初期のエジプト遠征からやらかしている)、どうしてこれで百日天下まで人気が衰えなかったのか正直不思議。考えられるのは、当時の末端までの情報伝達の不確実性だろうか。前線に放り出された兵士はほぼ全滅して故郷には帰らないから、兵を捨てて逃げたという事実は民衆には伝わりにくい。他の方面で華々しい戦果を上げていれば、それに尾ひれがついてエピソードが肥大し、固定的な神話になって人を呪縛するのかもしれない。
そういう意味では、こういう神話じみた英雄は、いくらメディアの偏向が指摘されているとはいえ、生に近い情報がネットワークで瞬時に全世界に伝わる現代では現れ得ないに違いない。