カチンの森

著者はブレジネフ時代にソ連を出国してカナダに移住、その後長らくイタリアで教鞭を取ったソ連・イタリア政治史の学者。本書も含め著作は全てソ連に関するものだが、全てイタリア語で出版しているらしい。
本書は映画にもなったカチン事件をソ連で公開された当時の資料を駆使して分析したもの。カチン事件は、第二次世界大戦の発端、独ソ不可侵条約においてポーランド分割を約束した密約に従って、ソ連とドイツがポーランドに侵攻し、占領した際に、ソ連側の捕虜となったポーランド人将校約4400人をソ連秘密警察がスモレンスク郊外カチンの森で銃殺した事件である。
著者はソ連がカチンで行ったポーランド人捕虜の大量虐殺をジェノサイドというより、階級浄化として定義している。その理由は、虐殺されたポーランド人捕虜の大部分が予備役軍人であり、当時のポーランド軍においては大学教授や、医者、裁判官、新聞記者、司祭、小中学校教師などの知識人階級が全て予備役として登録されていたからだという。これは自国に組み込んだポーランド潜在的抵抗勢力を抹殺するため以上に、スターリンポーランドに対して個人的な憎悪を抱いていた強い可能性も著者は指摘している。1920年赤軍によるワルシャワ包囲で喫した敗北にはスターリンに直接責任あったからだという。
著者は長年を経てエリツィンの時代にやっと公開された銃殺命令書を含む当時の資料をかなりの紙幅を割いて引用し、銃殺にまで至った経緯と意思決定のプロセスを分析している。すごいのは、これらの命令書や同意書が隠蔽されているにしてもしっかり保管されていることであり、さらにその内容の官僚的な論理に基づいた身も蓋もなさだ。いかに表に出ては拙い書類でも破棄せずに保管することも、ソ連政権下の政治官僚たちの保身の一種だったに違いない。そして、権力の下にいかな残虐行為を働くにしても、それを命令書なしに「何となく」「その場の流れで」「空気を読んで」実行することはないのだろう。
しかし、ことはソ連政権の犯罪というだけでなく、第二次世界大戦戦勝国である連合国、殊に英米両国が事件の隠蔽工作に加担したことでさらに捩れている。この捩れは、このソ連の犯罪を最初に発見したのがナチスドイツであったことが原因だった。敗色が濃厚となったドイツは1943年、ポーランド領内でソ連軍に銃殺された数千のポーランド将校の死体を発見したと発表した。これはソ連と連合してドイツと戦っていた英米両国にとっては拙い事態だったというわけだ。ソ連は当然事実を否定、犯人はナチスドイツであると主張し、ニュルンベルク裁判でも証言を捏造して隠蔽工作を行った。英米両国はそれを陰に支持した。しかしニュルンベルク裁判でも「ナチスドイツが銃殺を実行した」との証拠は得られず、そうすると戦勝国は「この事件は審理を行う必要がない」として蓋をしたのだった。その後、英米両政府はソ連と共に口を噤み(米国では戦後、調査委員会が持ち上がったものの、当時のソ連・英国には黙殺された)、ソ連側の資料が公開された現在でも、当時の資料は公開されていないという。
英国の所謂リアルポリティークが如何なるものであるか非常によくわかる事件である。巻末の訳者あとがきが非常に充実しており、本文だけではわかりにくい事件の背景がよく理解できる。