北の十字軍

北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大 (講談社学術文庫)

久しぶりにリアル書店をザッピングしていたら発見した。丸ごとドイツ騎士団の本。
「ヨーロッパ」というのは地理的な括りではなく、文化圏の括りである、というのには今更だが目から鱗。ここで言う文化圏とはつまりキリスト教(さらに言えばローマ教会が統括するカトリック圏)だ。ローマ教会は司教の任命権の独占によって司教区を拠点に支配権を拡大していこうとする。これがカトリック圏の世俗権力(即ち土着の領主)の権益と対立する。その対立が叙任権闘争だったのだと、やっと理解した。この時代の土地の支配権とは経済の問題に直結しており、土地に住んでいる人民を直接的に支配することより、そこから上がる経済的利益の確保が第一だった。具体的には教会の管区から納められる十分の一税だ。間違っているかもしれないが、カトリック教会組織は司教区をブランチとする巨大グローバル企業のように見える。
カトリック圏にとってこの構図はさらに忌々しいことになるだろう。ことは単なる宗教上の問題ではなく、改宗したが最後、教会とそれと結託した世俗権力の支配と同化を受けることになるからだ。ロシアと神聖ローマ帝国(ドイツ)に挟まれた現在の東欧地域にとって、うっかりキリスト教を受け入れることはドイツ化を意味した。
ドイツ騎士団はこの教会をバックとしたキリスト教圏の拡大の尖兵だった。教会は近代的概念で言う侵略のお墨付きをキリスト教の名の下に与えたわけだった。ほぼ同時期のエルサレムへの十字軍はまがりなりにも失地回復であったのに対し、北の東欧地域の「教化」は単純に教会とドイツ諸侯の経済的利益に結びついた「拡大」だったからだ。
また東欧地域の場合、さらに北のロシアは東方教会を奉じており、カトリック東方教会との勢力争いの緩衝地帯でもあったように見える。このパワーバランス関係が、その後WW2にまで続くロシア・東欧・ドイツ間の抗争の素地となっているようにも思われる。
ドイツ化を上手く回避してキリスト教化し、自分たちの言語や文化を守ったのがポーランドリトアニアで、この両国の立ち回りは非常に面白い。ドイツ諸侯やドイツ圏の司教区ではなく、ローマ教会と直接結びついて、ドイツ圏に侵略の口実を与えないようにしたのだ。最後の非キリスト教圏であったリトアニアポーランドと連合してキリスト教化したとき、異教徒を教化するドイツ騎士団は存在理由を失った。そのときドイツ騎士団はすでに領土を持つ独立勢力であったから、この事態を受け入れられるはずがない。ポーランドリトアニアの改宗は虚偽であると主張して挑んだ戦争は、ドイツ騎士団の生き残りを賭けた最後のあがきであったと言える。結果、タンネンベルクの戦いで敗れ、その後ポーランドリトアニア支配下で公国として世俗化していく趨勢は、「異教徒」が存在しなくなり「十字軍」が成立し得なくなった騎士団としては当然の帰結であったように見える。
教会がお墨付きを与えた「十字軍」の概念はイベリア半島においてはレコンキスタ失地回復)として現れ、さらに新大陸への「拡大」を正当化していったという著者の見方は面白い。南米は欧州の延長だったのだと。
ところで、「十字軍」を正当化する教会の考え方は、とっても大雑把に言うと「異教徒は無知蒙昧だからキリスト教により蒙を啓く(支配す)べきであり、要するに人権なし」という考え方に基づいているようだ。これに対し、ポーランドリトアニアドイツ騎士団の抗争問題を議論した公会議で、ポーランドリトアニア側が、「異教徒にも人権はあり、非キリスト教徒だというだけでキリスト教徒が力ずくで改宗させ(支配し)てはならない」(これも大雑把)という、現代の人権感覚にほぼ近い主張をすでに展開しているのが、キリスト教世界の奥の深いところ。