死の泉

『総統の子ら』の予習がてら読み始めたんだが、正直言ってドイツ舞台の小説としてはあまり評価はできない。しかしそれでもぐいぐい読ませる筆力ではあった。
評価できない理由は、この小説が作中作にドイツ人が書いた小説を入れ子状に配置した構造にもかかわらず、この作中作がどうしても日本人が書いた日本人向けの小説に見えてしまうところだ。外国舞台の小説を書く場合、背景説明をどうするかは実際のところ悩ましい問題だとは思う。私の場合、作中作が本当にドイツ人が書いた小説なら当然しないだろう、説明的記述がどうしても気になってだな…。ローマ帝国を書きたかった七生たんがあえて小説という形式を捨ててあの萌え語りという書き口を選んだ理由がわかる。
以下ネタバレありなのでご注意あれ。
壮大なミステリ仕立てなのに謎解きに関してはあまり精密に読んでないザルでアレなのだが、あとがきにかえてを読む限り、作中作の登場人物がそれぞれ実際の人物に一対一では対応しないんじゃないかなあと思う。もともと作中作で「ギュンター」と呼ばれているキャラクターはいなくて、フランツのことを「ギュンター」と呼んでいるだけかもしれないし、作中作で「クラウス」として描写されている小男(そして訳者が会った著者だという人物)が、実際は「ギュンター」という名前を持った貴族で、それを「クラウス」として作中ではカモフラージュしているだけかもしれないとも思う。で、随所に出てくる黒衣の人物は最後のカストラートで、クラウス(=ギュンター)がいろいろ手を尽くして生きながらえさせているのかもなあとも思う。作中の挿入歌は『ファウスト』のものらしいし、『ファウスト』を読んでたらもうちょっとわかったかもしれない。教養って必要だね。