通訳

言語SF+サスペンス+ロードノベルでスリリングに楽しませてくれただけに、最後のオチには……。
言語は人格そのものである、という点についてはその通りだと思う。少なくとも私にとって、ある言語からある言語に言葉を置き換えるというのは、世界をコンバートすることだ。コンピュータで言う言語空間というのが近いかな。例えば日本語の一文を英語に翻訳するというのは、その事柄を日本語の世界から英語の世界に移し替えることで、その一文には周りの世界も一緒にくっついてくる。だから世界の様相が違えば翻訳不能な事柄っていうのが出てくるわけだ。
自分の中に多言語を持つというのは、人格を数多く持つことに似ていると思う。よく英語が話せる人は英語で考えるというけど、考えたことを表現できるだけの語彙(つまり英語の世界)が自分の中になければ、これは無理だ。似非帰国な私なんかはこの世界がセサミストリートレベルなので、ごく簡単な日常会話やサバイバル英語以外は、足りない部分を日本語世界で考えるわけです。あとコンバート方向の能力差ってのもある(英日か、日英かでね)。だから、0歳児からのナントカとかありますけど、個人的には母語が確立しない状態で第二言語を浴びせるのって、結構危険だと思うんですけどね。