アフリカの日々

アイザック・ディネーセンがカレン・ブリクセンでブリクセン男爵夫人だったとは知りませんでした。デンマークブルジョワの名家に生まれ、貴族と結婚して男爵夫人となり、ケニアに渡って広大な農園を経営した著者がアフリカでの日々を綴った作品。エッセイとも自伝とも回想録とも紀行とも言いがたい。
著者を含め、当時のヨーロッパ人が植民地とは言え全く未知の世界に飛び込んでいく蛮勇とも言える思い切りの良さにはつくづく感心する。それはキリスト教的な優越感に根ざしたものかもしれず、ディネーセンも当初はそうだったかもしれないが、彼女が失意のうちにアフリカを引き上げた後に書いた『アフリカの日々』にはそういう優越感をふりかざす態度は全く見られない。ディネーセンは紛れもなく「植民地の白人」であり、文章にもその感覚が随所に滲み出るのだが、彼女が独特なのはアフリカの自然と土地の人に対する憧憬とも言える感受性だ。
北欧人が熱帯地方と人種に寄せる熱い思慕は男女間の思慕に似ている、と作中で書くように、著者のアフリカへの思いは恋人に対する思いに似ている。理解不能で、いらただしくもありながら愛さずにはいられないと言うような。
恋愛の対象からの評価に地位や肩書きが意味を持たないように、土地の人たちにとっても白人が天災の一種、気まぐれな天気か、時折人間や家畜を襲う猛獣(或いは土地の人の考える神)程度としか思われていないことに気づけたのは、著者のこの態度によるものだったのかもしれない。

私は六千エーカーの土地をもっていたので、コーヒー園以外にかなりの空地があった。農園の一部は自然林で、一千エーカーほどが借地、いわゆるシャムバスになっていた。借地人は土地の人で、白人の農園の中で何エーカーかを家族ともども耕作し、借地賃代りに、年に何日か農園主のために働く。私のところの借地人たちはこの関係について別の見かたをしていたと思う。というのは、彼らの大半は父親の代からその場所で生れ育っているからだ。彼らのほうでは私のことを一種の高級借地人と見なしていたらしい。

(p17)

ディネーセンが描くアフリカの自然は美しく残酷で、人は気高くずるがしこく忍耐強い。おそらくは当時のアフリカとも現在のアフリカとも次元を異にする、神話世界のようなアフリカを描いた傑作。