ラナーク

わたしがそこから得た教訓はこういうものだ。つまり、叙事詩というジャンルは韻文にかぎらず散文でも書けるし、その中であらゆるジャンルを組み合わせることができる―――ありふれたものから異常なものまで、さまざまな家庭的、政治的、伝説的、寓話的状況において、男や女がどのように行動するかを、説得力をもって語ったもの、それが叙事詩なのだ。叙事詩でなければ書く価値はない、わたしはそう心に決めた。

(p699)

いきなり巻末の作者自身の解説を引くのは邪道かもしれないけど、この本の性質上、これも本文みたいなもんだと思うので。

図書館から借りてみたら噂通りの辞書みたいなハードカバー(例によって結構長いこと予約待ちしたのだが、しおり紐も抜かれてない全くの新品が登場)な上、次の予約待ちがいて帯出延長できないと言われ、こんな分厚い本買っちゃったら安心して絶対に積んどいて読まないだろうと確信したので、締切りに追われるようにすごく必死で読んだ。間にさっさと読める図書館本も休憩がてら挟みつつ、約二十日間(やっぱり延滞しましたすみません)で何とか読了。いややればできるもんだね私。図書館から借りれば『重力の虹』でも読み切れるのかも。
しかし、この小説(小説? 小説なのか? 叙事詩? 叙事詩的な自伝?)が、この厚さをものともしないくらい、非常に面白く読ませるというのも確か。正直、最終巻(四巻)は少々だれたけど、SFとかファンタジーとか不条理劇とかメタ小説とか言われるものが、何の違和感もなしに融合した不思議な書物だった。

ところで私はテレビとか雑誌とかに気分が影響されることはほとんどないけど、映画とか小説には簡単に影響されちゃう性質で、そのとき読んでいる小説によって一喜一憂、ハイになったり鬱々としたり忙しい。この本では、間に挟まれたダンカン・ソーの物語を読んでいる間、自分の子供〜学生時代がうっすらかぶってきちゃって、そのイタさ加減に一緒になって悶絶したり鬱々としたりしてしまった。本当の退屈を知っているのは子供だけだ、って誰かが言ってた(誰だったっけか…)けど、それって真実だと思う。