虚構まみれ

昔から私の作家の好みは話のストーリーよりも文体やスタイルそのもので、ぶっちゃけその人の文体/スタイルで読めるならストーリーもジャンルもどうでもいい、という性質なのだが、その意味でスタイルというものに非常に敏感で自覚的な奥泉さんの作品が大好きです。とか言いつつ、最近の作品は軒並み未読だったりしますが。(平易に見えて実は読むのに体力のいる種類の文章なんだよな…)
エッセイを読んだのは初めてだけど、力みや気負いのない美意識としか言いようのない折り目正しさにふんわりユーモアが漂う文章は素敵だ。にもかかわらず、書いている内容はきっつい罵倒というところがさらに素敵だ。罵倒芸の鮮やかな人には心底敬服する私です。あとシューマン好きも無条件で同志だ。

肝心なのはスタイルである。独創的なスタイルを持ちたいとは思うけれど、独創的なスタイルは他のスタイルとの連続性なしに生まれるとは思えず、すでにあるスタイルの枠のなかで「自由」な表現が求められたときに枠そのものを変質させる形で実現するものに違いない。そうして実現された新しいスタイルは、普遍性を持ち、であるが故に、また誰かの表現活動に枠組みを提供しうる。

(p91)

自分の書いたものが、いま書きつつあるものが本当に面白いのか、そう問い続ける作業が作家の読む作業なのであって、批評性が問われるのはまさにここである。批評性のない作家は、それが面白いか詰まらないかなどを問うこともなく、書いただけで満足する。そして実際満足出来るのである。

(p260)

一般に本格SFが、いくつかの優れた例外を除いて興ざめなのは、未来世界や異世界についてさまざまな奇想が巡らされながら、人間観が平凡だからである。小説の中に描かれた世の中がこれほどまでに異様なのに、人間ばかりが現代人と同じ発想、同じ行動しかしないのだから面白くない。

(p324)