『接吻』を観て来た(4/28)。ユーロスペースのレイトショー。
むせかえるような愛の映画だった。愛してほしいということは、他人に自分を干渉してほしいということではないかと言い切ったのは『すべてはFになる』の真賀田四季だったと思うけど、この映画はまさにその極致を描いたもの。他人からの一方的な自己規定を憎悪してきた坂口にしても京子にしても、事件が明るみに出た後、一転して自分たちに群れ追いすがるマスコミに見せる晴れやかな笑顔は、憎悪してきた周囲に対して会心の復讐を遂げた故のものなのだろう。しかし、京子が坂口に一方的としか言いようのない思いを寄せるように、坂口が京子の希望に沿わず控訴を受け入れるように、他人から向けられる愛もまた一方的な自己規定であり得る。なのにそれを求めもするのだ。そのアンビバレントを見事な緊張感で描き出した傑作だと思う。最後の「私をどうこうしようなんて思わないで」という京子の叫びは、言葉とは裏腹に「私を愛して」という叫びに聞こえた。小池栄子、素晴らしかった。