下下戦記/水俣

もう一週間以上も前に読み終わっていたのに、感想がまとまらなくて放置していた。けどこれ以上発酵させても進展がなさそうなので、えいやっと書く。
第一印象としては、依代のような本だと思った。著者が水俣の若衆宿でともに生活した胎児性水俣病患者たちの声、言葉が、著者の筆に依りついて文章になったような、生々しくも衝撃的な本。雑誌発表当時、現地で非難囂囂だったことも理解できる。ここには、おかしいとわかっていても汚染された魚介を食べざるを得ないどうしようもない貧しさ、汚染源であるチッソ社に雇用を頼らざるを得ない地域構造とそれによる確執の複雑化、弱者が弱者を差別する世界が、当事者たちの声でもって、時に猥雑に、赤裸々に語られている。
語るのは親世代の公害闘争の一線に立つことはできない子供世代の患者たちだ。補償金が入ったところで、水俣病が治るわけではなく、彼らの現状は救済されない。彼らは普通に働きたい、恋愛したいと切望し、彼らなりに語り、考え、計画を立て、必死でもがき闘争するのだが、そのパワーはえてして空回りし、公害闘争を続ける大人たちには理解されず、喜劇的な様相さえ呈してしまう。本書が単行本化され大宅賞を受賞したときに、「青春グラフィティ」などと評されたのは、著者の文章(に乗りうつった若い患者たち)に満ちるこのパワーと、必死だからこその生き生きとした語り口に宿るたくましいユーモアのせいなのだろうけど、そんな読み方だけしかされないのでは、あの必死の闘いは何だったのかと当事者たちは言いたくもなるだろう。
若衆宿の試みは結局、目立った成果を挙げることができずに求心力を失い、著者は水俣を去った。著者は公害闘争で祭り上げられた水俣にいて、美談や神聖化されたイメージでない、生の声を聞き続け、抱え込み続け、この本に吐き出したのだろう。読み終わって感じたのは、現地で非難されたような暴露的な意図でも、「青春グラフィティ」でもなく、ただ若い患者たちへの愛情に満ちた本だと思った。多分、ご本人は嫌がるだろうと思うけれども、吉田さんはとても優しい人だと思った。

『下下戦記』は完全に若い患者目線なので、公害闘争の経緯や党派については詳しく書かれていないのだが、こちらは写真集とは言え、かなりのボリュームの解説と、公害闘争の年表、医学報告等の資料が含まれている。これを読むと官憲は凄まじい弾圧っぷりで、近代民主主義とか法治国家とか、一体どこの世界の話かと思う。左翼系活動者が加わって闘争が暴力的な色合いを強めたこと(三里塚もそうだけど、左翼系学生崩れが加わるといつもこうだな…)、そして厚生労働省は厚生省の昔から何も体質が変わっていないということもよくわかる。薬害エイズも薬害肝炎も、起こるべくして起きたとしか。
ちなみに上の吉田さん、ユージン・スミスの謝辞の中に登場している。