モーダルな事象

モーダルな事象 (本格ミステリ・マスターズ)

これは積読の『鳥類学者のファンタジア』を先に読んだほうがよかったかも。登場人物が一部かぶっているようだ。
メタミステリっぽい体裁を装っているけど、奥泉さんの小説なので語りを楽しむのがメイン。『トリストラム・シャンディ』みたいな(そういや副題もこれに引っ掛けてる?)桑潟助教授の語りが段々と不条理劇に崩壊していく様子は奥泉読者には「キタキター」な感じだし、元夫婦探偵コンビの探偵活動はほとんど観光旅行だったり、さらには興信所に調査を頼んでみたらこれが素晴らしい成果なのに味をしめて足で手がかりを探すのを放棄してみたり、犯人が手のこんだ脅迫をしても行間の読めない被脅迫者に理解されないのを嘆いてみたりで、にやにやしっぱなし。
巻末の千野帽子の解説(?)も面白かった。特に今のエンタテイメント小説が、かつての「芸術としての文学」を保証する理想のものとしての透明な語りを採用し、逆に「純文学」は「非芸術性」「前近代性」の証とされた不透明な語りを再び採用しはじめている、というくだり。だから、エンタテイメントを読むか読まないか(あるいは「純文学」を読むか読まないか)の違いは、作品が扱っている題材の違いではなく、

…透明に見える語りに安心感や説得力や臨場感を求めて読むのが好きか、それとも不透明でぶれや揺らぎを孕んだ語りにスリルをもとめて読むのが好きか、という読者の性癖・嗜好の違いなのではないでしょうか。

(p515-516)

という意見には全くもって同意。私は典型的な後者のタイプ。もっとも語り手が「語る」スタイルのぶれや揺らぎにそこまで敏感というわけでもなく、語っている対象との間に適度な距離感があるほうが好きだってだけな気がしますが。