服従の心理

もしもイェール大学の先生に「人間の記憶に関する実験です」と言われて、椅子に縛りつけられた人にテストを課し、テストの答えが間違っていたらその人に電撃を与え、回を重ねるごとに電撃を強くしていくという実験に参加したとしたら、その参加者は苦しむ人にどこまで電撃を与え続けるだろうか。理性や良心、同情心に従って適当なところで実験をボイコットするだろうというあらかたの予想を裏切って、ほぼ無作為に集められた人々はかなりの高レベルまで電撃を与え続けた。
本書は1974年の「アイヒマン実験」として有名な古典的な心理学実験の報告。この結果からミルグラムは、人間は本質的に権威のコントロール下に入ると自立的な判断を放棄し、権威のエージェントとして動いてしまうという人間のある特性を白日の下に晒した。ナチの構成員として何万というユダヤ人を強制収容所に送ったアイヒマンは、極悪非道な人非人ではなく、ごく普通の官僚だったと言えてしまうわけだ。実に身の覚えのある感覚で、本当に嫌になる。
巻末ではさらに訳者の山形さんがミルグラムの結論に現代の視点から批判を加えている。ミルグラムの理論に従うならば、ホロコーストにもジェノサイドにも犯罪者は誰もいなくなってしまうと。また、個人対権威という図式には無理があり、最初から個人の服従以外の選択肢が弱められているとのこと。権威に対抗するには別の権威を、つまり組織は別の組織に監視させることによって、権威の暴走を掣肘すべきだろう、と。
個人的にひとつ思ったのは、人が服従するか否かには、相手との力関係、つまり相手に反抗した場合に勝てるかどうか、という根本的なバランス原理が働くということだ。あまりに自明だから筆者も訳者もあえて指摘しなかったのかもしれないけれど、結局のところ、本質はこれだろうと思う。だから実験結果でも女性のほうが比較的服従の度合いが強かったこと、またある女性の被験者が「これが男性だったら最後まで実行しなかったかも」とぽつりと漏らしたことに、とても納得する。権威は力――具体的に言えば、反抗した場合に蒙るだろう反撃――に対する恐怖によって支えられている。