低開発の記憶/ある官僚の死/12の椅子

キューバ映画祭で三本立て(10/3)。渋谷ユーロスペース。『ある官僚の死』と『12の椅子』の間に太田昌国氏と岡田秀則氏のトークがあって、これも面白かった。

一昨年くらいに公開されていたのを見損ねた。岡田さんが「38歳危機説」を指摘していて、確かにそのとおりなんである。キューバ革命真っ只中の時代にブルジョワ階級に属するセルヒオという38歳中年男が主人公。家族や妻が皆アメリカ・マイアミに出国していくのをよそに、「ここは低開発だ」と言いながら一人キューバに残り、革命に加わるでもなく元々志していた小説を書くでもなく、資産を食い潰しながらぶらぶら暮らし、私は西欧を目指すと言いながらやっていることはセクシャルな妄想とナンパというどうしようもない男である。
これ、キューバ革命直後と言っていい頃の映画だっていうのがすごい。だって打倒されるべきブルジョワがうじうじだらだら暮らしているのを描いた映画ですよ。それでいいのか、って普通なるよね。これがソ連だったら間違いなくプラウダあたりで批判されて、監督はシベリア送りですね。

  • 『ある官僚の死』

官僚主義を痛烈に皮肉った作品。伯母が年金を貰うためには亡夫の労働証が必要なのに、それは故人と一緒に埋葬されてしまっていた。伯母のために労働証を手に入れるべく奔走する甥が、伯父の墓を掘り起こしたことから始まる不条理喜劇。映画の冒頭で監督がいろんな映画人にリスペクトを表していて、見る人が見たらそれらの影響や引用がわかって楽しいんでしょうけど、私はそこまではわかりません。でも実直そのものといった感じの甥が、官僚主義に振り回されてだんだん壊れていく様子がスラップスティックに描かれていてすごく面白い。

  • 『12の椅子』

これはスタイリッシュな作品だった。革命で全財産を失った元富豪がキューバに舞い戻り、その元使用人と一緒に、義母の遺産の宝石が隠された12脚の椅子の行方を追う、スラップスティックコメディー。原作は同じように共産主義革命が起こったソ連の小説だそう。
元富豪と元使用人の立場は革命でいまや逆転しているのに、その自覚がない元富豪イポリートと、それを適当にいなしながら持ち前の機知で次々と椅子を手に入れ、自分も分け前に与ろうとする元使用人オスカルの駆け引きが見もの。このオスカルのキャラクターが秀逸。彼は立場の逆転をあからさまにして居丈高になったりはせず、落ちぶれていく元主人を多少冷笑的に面白がりつつ眺める。元富豪の友人である元ブルジョワたちから容赦なく金を巻き上げる狡猾さと、最終的に宝石が手に入らなくても恬然としている余裕。社会主義国家における主役たる労働者を愛嬌のある悪党として描いたところが面白い。