良いドキュメンタリー映画でした。台所に立つ、監督の身近な女性たちを定点カメラで捉えることで、イランの社会、家族、男女関係のあり方を浮き彫りにしてみせる。しかしそんな社会派な側面よりも何よりも、ここに映し出されるイラン料理の数々がもう美味そうで美味そうで、目にも腹にも毒なんである。朝から準備して出来上がるのが夕方、なんていう気の遠くなるような手間ひまをかけた料理には、それをずっと作ってきた女性たちの労苦を思いながらも、やはり美味そう食べてみたいと思う気持ちが勝る。この幸せ者のイラン男どもめ。
そして、イランの女性たちの饒舌でファッショナブルでタフなこと。色とりどりの美しいスカーフを巻いた彼女たちのお喋りは、立場上社会上言えること言えないことをきっちり弁えた上での機知と皮肉たっぷりで、ユーモアまで漂わせる余裕がある。伝統料理三品を作るベテラン主婦のおばちゃんなぞ、長年の姑との抗争に勝ち抜いて今や立場逆転し、長年の「教育」で夫を尻に敷き、とはいえ関係はからっと明るくて、「今はあたしがボスよ」と言いながら姑と夫とやり合う様はほとんど掛け合い漫才だ。
女性たちがカメラの前で語る一方、その夫である男性たちにもカメラの前で意見主張する場が与えられる。男性の主張もまた、いろいろである。どこかで聞いたような意見ばかりだとも言える。現状に安住する男性もいれば、女性に一定の理解を示す男性もいる。いずれにせよ、役割分担の根本的な構造には大きな疑問を持っていないように見える。日本での「ゴミ出しはしてあげるよ」と同じ構造だ。
監督もまた、男性の立場で、カメラの外から女性たちやその夫たちに質問を投げかける。その監督の姿勢、そして映画全体を貫く視線は、「私(私たち男)はこんなにも、身近にいる女性たちが毎日何をしているのか知らなかった」という正直な吐露に満ちている。そしてエンドクレジットを見ると、これは、そういう男性の一人である監督の捨て身のドキュメンタリーとも言える作品なのである。