『トリストラム・シャンディ』 ロレンス・スターン/朱牟田夏雄 訳

行為にあらず、
行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ。

――エピクテータス


まずこの巻頭引用からしてこの本の全てを語っています。

脱線は、争う余地もなく、日光です。――読書の生命、真髄は、脱線です。

(岩波文庫版、上巻、p131)


そして、このひとくだりだけでもう私的殿堂入り決定。

――たとえばこの私の書物から脱線をとり去って御覧なさい。――それくらいならいっそ、ついでに書物ごとどこかに持ち去られるほうがよろしい――あとに残るのは各ページ各ページを支配する一つづきの冷たい冬です。

(岩波文庫版、上巻、p131)


むしろこの書物から脱線をとり去ったら、何も残りますまい。
とりあえず上巻を読み終わったところですが、トリストラム・シャンディ氏の生涯と意見のはずなんだが、本人が生まれる前の両親のエピソードから脱線に脱線を重ね、父親から叔父からその従僕、産科医やら産婆やら、果てには近所の牧師やらの話に終始していて、未だにご本人誕生さえしていません。多分この人、意見だけで、生涯を語る気はさらさらないと思われます(笑)

その一方で、こういう当時としてはかなり鋭い宗教批判も混ざってたりします。

「そういうわけでわれわれは、宗教なしの道徳だけをあてにすることはできない。――と同時にその反面、道徳なしの宗教からも、前者の場合以上のものは期待できない。――にもかかわらず、世上、実際の道徳的品性はきわめて低いくせに、宗教心に篤いからという理由でおのれ自身をこの上なく高く評価している人間にお目にかかる例は、決して珍しくないのである。

(岩波文庫版、上巻、p224)


ほんとそうですねー。どこぞの大統領とかどこぞの首相とかー。

まあ全編こんな感じなので、こちらもせいざい脱線しながらゆるゆるのらくらと読んでます。読み終わるのに3年くらいかかるかな。<おいおい