瀬島龍三 参謀の昭和史

少し前に瀬島龍三の訃報を知って、『沈黙のファイル』のあの人かと思い出した。共同通信社社会部が出版した『沈黙のファイル――「瀬島龍三」とは何だったのか』は新潮文庫でだいぶ前に読んだのだが、細かい内容はすっぽり忘却の彼方で、ただきなくさい人だよな、という印象だけが残っていた。思い出して(捨ててないはずだし)再読しようと思ったら見つからず、仕方ないから図書館に予約を掛けたら区に2冊しか所蔵してなくて両方とも貸し出し中だった。
で、予約待ちする間にこの機会にいろいろ読んでみようと『参謀の昭和史』と、瀬島龍三本人の回想録『幾山河』を借りてみた。『沈黙のファイル』は強烈にアンチ瀬島な視点で書かれたものだったはずなので、一応本人の「かく記憶されたし」が書かれているはずの回想録と、あからさまなビジネスマン向け企業参謀マンセー本以外のルポ……って今のところ、この本くらいしかないのね。
『幾山河』は借りてびっくり、家庭の医学みたいな分厚さでとても持ち歩く気になれないから、家で斜め読みしているが、斜め読みできる程度に読みやすく書かれていて、これがゴーストライターでなければ瀬島龍三本人は結構文章が巧い。
先に読み終わってしまった『参謀の昭和史』は、やっぱりかなり批判的な立場から書かれた本だ。常識的に考えても、太平洋戦争時代の大本営参謀が大商社の会長にまで登り詰めて、中曽根内閣のブレーンっていうのは、まあきなくさい。読んでいて、何となく甘粕正彦みたいな雰囲気を感じた。
保阪さんの書き振りはときどき恣意的に感じることもあるし、書かれていることがどこまで信じられるのか検証する能力は私にはないんだけど、受ける印象は、まず「上手く泳いだ人だ」ということ。それから、頭が相当に良くてストイックな勉強家ながら、自己演出が上手い(この辺、甘粕大尉とイメージがダブる)、滅私奉公とか誠心誠意とか「尽くす」ことに価値を置き他人にもそれを求めるタイプ、そして何より旧陸軍時代の教育と価値観を今でも信奉し踏襲しているように思われること。

私は瀬島とのインタビューの降りに、「瀬島さんは、昭和史の年表を開いて、そのときどきの自らの役割をきちんと書きのこすべきではないでしょうか」という質問をした。すると瀬島は、永田町の方角を指さして、
「自分もそうしたいんだが、あっちのほうがやめさせてくれないんだよ」

(p275)

このエピソードが本当なら、かなり本質のところを突いているように思う。きなくさいの何のと言っても、そういう人が政財界で華々しく活躍できるような状況とニーズが確実にあったってことだ。