便乗

させていただきました。ひー傑作!(笑)
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こういうときに限って驚くほどギニョール路線が生きてくるものなのだ。
総合得点 1点
パッと閃くような強烈な美しさをエドモンドは持っている。……正直言など、いずれウォルマートの店頭にならぶだろう二級品である。その歴史は古い。我らにボーイズを使わした神に感謝しなくては。時にはギリシアの砂浜でサッポロ黒ラベル第52回有馬を愛でるのもいい。私なら、厚揚げみに生涯を捧げるだろう。あと10年若ければ。

どういうことなのか。私にも良く解らない。けれどもクレジ ...には解っている。少なくともエドモンドはあって欲しい。ブッシュ大統領のようであるとも言える。ドラッカーは「ボーイズを叫ぶだけでは、誠に空しい」と言っている。メトロポリタン美術館のキュレーターになるために必要な資質は、サクふわ感的であること、そして結 ...的であることだ。それがまさにモノローグということなのだ。

だからこそ、「映画欠席裁判」主義を掲げる人々を、無謀なドン・キホーテと嗤う事は容易い。だが果たしてそれで良いのか?スーパーは語るに値しない。イートン校を知らない貴族がいないように、 一応私を知らぬニューヨーカーも居ないのだ。まさしくサッポロ黒ラベル第52回有馬に小判、映画欠席裁判にシャルドネである。90年代を思い起こせば、様々な事件があった。「ビール……」事件、それに「バーカー」事件などである。どんなにニューヨークを田舎呼ばわりしても、スーパーのない我々英国の人間にとってニューヨークは羨望の街となる。むしろ「メッセージ」大会などと称して、それをたたえるのはどうだろうか。而して、「オーバーアクション」主義を掲げる人々を、無謀なドン・キホーテと嗤う事は容易い。だが果たしてそれで良いのか?それはなにかと言われれば、スリリングである。少女とは恐ろしいもので、気がつけば大人になっている。当たり前のようにハリウッド製アクションをセカンドバッグから覗かせる。気づかぬうちにレディとなっているのだ。世の中はそれほど……正直言を中心にまわっているわけではない。残念ながら。
そうか。ではオープニングはいかがだろうか。

総合得点 1点てのがすごい信憑性。