紀州

『不敬文学論序説』で言及されていて興味を引かれたので読んだ。
被差別部落のことを現実問題として知ったのは、大阪の大学に行ってからだった。入学してすぐに、構内の掲示と文書での連絡で、出身地による差別はあってはならず、そのような例を見聞きした場合にはすみやかに大学当局に知らせるようにという通達だった。その「例」の中には、差別行為や発言などに加え、例えば差別的な落書きの存在なども、通報の対象として含まれていた。

それ以前に知っていた被差別者、賤民とは、宗教や芸能における異能の人々のことだった。闇が濃ければ濃いほど、そこに落ちる光は輝かしいという世界。

穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しい、と思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだ。

(p21)

しかし、聖者と賤民が表裏一体である宗教や芸能という枠組みが崩れた現代において、差別・被差別の関係に上のような美学が成り立つものだろうか。

ここで天皇を出すのは唐突であろうが、日本的自然において古代の天皇とは、日と影、光と闇を同時に視る神人だったように思う。(中略)治者が差別者であり同時に被差別者である神人でない故に、治者のやる事はことごとく玩物喪志であり、改良主義であり、せいぜい善意でしかない。ということは、被差別は差別するということである。被差別こそが差別しなければならぬ宿命と言い直そうか。この日本では、文化、芸能、信仰等において、被差別は差別するというのが一種テーゼとしてあったはずである。

(p185-187)

著者は被差別者と差別者を、社会的規約から脱落した者と、社会的規約に乗り、まさにその規約通り言葉を使う者と言い換える(p236)。社会的規約とはまた、統治者すなわち天皇のシンタクス、書き言葉とも言い換えられる(p202)。社会的規約にきれいに乗っかった書き言葉による「物語」そのものが差別の構造であり、毒である、と。
だからこそ、規約通り言葉を使う者である現代の行政が、差別問題、同和問題に取り組んでいると言い、差別は解消している、あるいは解消に向けて努力していると言う言葉が、空虚に響くのだろう。実際にあるのは、差別問題、差別事象ではなく、差別の構造であり、それは例えば「古座川」の章で書かれるような、さほど大きくもない古座川を挟んだ古座と西向という二つの集落において、既存の古座漁協に西向を加えるのではなく、新たに西向漁協を作るような構造のことだ(p216-217)。
単に差別語を禁止し、取り締まるようなことは、渡部直己の言う「不敬」の構造にも通じる社会的規約に則った言辞でしかなく、構造そのものを何ら変化させるものではなく、むしろ構造を見えにくくし、セイタカアワダチソウの根のように土壌深くに毒を蔓延させるだけに違いない。