小説の設計図

どうにもこうにも読みにくい文体だった。一文がやたらに長くて煙に巻いたような晦渋な文体、どうも渡部直己に似てるな…と思ったら、あとがきのような部分を読んだら、著者の長年の師匠なんだそうだ。でも同じ晦渋でも師匠のほうが遥かに読みやすいぞ。わかりやすいことを無理に捏ねくり回して難しく書いているようで、こういう文章には凶暴なまでの反感を覚える。それに思わせぶりなほのめかしが多くてイライラする。最終章は中原昌也を読んだことがないのもあって、全体の章構成の中で破格に長い一章で一体何が言いたいのかよくわからなかった。小説の言葉の表象=代行制度への疑い? 小説がまるっとウソ話だってことは大前提で(読んでいる間に忘れていることも多いけれども)、その言葉の一言一句、信用できない(かもしれない)のは当然なのでは。(でなければ叙述トリックなんて成り立たない) よくわかんないけど、よくわかんなくてもういいやと思ってしまったのはみんなこの文体と太陽のせい。(暑ー)