ローマ人の物語 ローマは一日にして成らず 下

アッピア街道、キタ。昔『ローマの松』やったときの、四楽章の重量感、エンドレス感が甦ってきた。あれは重装歩兵のイメージなんだな。

ローマ・ギリシャ激闘編。戦争に強いけど根気のないピュロス王が素敵。ええとー、マケドニアってギリシャ人の国ってことでいいんですよね? 今と民族の分布と国境が全然違うから混乱するわ。
大版図を達成したローマと当時の地中海の他の都市国家の違いは、面で分布するか点で分布するかの考え方の違いなんですねきっと。ギリシャフェニキアは自分とこのポリスから溢れ出た人々があっちこっちに取っ散らかって、また点でポリスを形成。点同士の連携・協力関係は、「元同国人だよね」という以外、あまりない。だから点と点を結ぶ線が形成されなくて、結果として国境とか領域とかいう概念にならない。主戦場が海上なら、港となる拠点さえ確保すればいいという考え方は理解できる。
でも陸上の防衛は線でないと弱い、というのがローマの考え方だったんだろうな。だから同盟して自国に取り込んで、線の防衛線、つまり国境線を確立する。取り込めば取り込むほど外敵は少なくなるから、膨張志向になるんですね。

あと、防御型の社会は街道などの公共インフラの建設に熱意がない、という指摘も面白かった。中世ヨーロッパの諸都市のあの交通利便性、居住性の劣悪さってほんと何だろうと思ってたのだ。だって彼ら、ローマの支配を経験したんだろうに。でも、ローマが瓦解して、考え方が点の防衛に戻ってしまったんだろう。