『ヨーロッパの100年 上』から。

「わたしは自分が呪われているのではないかと思う。この戦争を愛しているからだ」。ウィンストン・チャーチルは一九一五年の初めに娘のヴァイオレット・アスクィスあてにそう書いた。「どの瞬間にも何千人もの命が揺さぶられ、打ち砕かれていると知っているにもかかわらず、自分がどの瞬間も楽しんでいることをどうすることもできないのだ」

(p119-120)

 サンクト・ペテルブルグの旧市街は凝結した一九一七年の世界都市だ。いまでも同じドアとファサードをもち、同じ街灯、同じ優美な橋が見られる。ただ、維持費や修復費は払われなかったので、すべてが八十年老朽している。別の見方をすれば、こうも言える。十八・十九世紀のヨーロッパ最高の建築家が予算も労力も惜しまず建築にいそしみ、その後二世紀にわたって、ほとんど忘れ去られた街は他のどこにも存在しない、と。

(p180)

皇帝はただ『わたしの子どもたちよ、わたしは君たちを愛している』とさえ言えばよかったのです。それなのに彼は、祈っている人たちに向けて発砲させました。皇帝は二度と許されませんでした。共産主義革命の基礎を築いたのは皇帝自身だったのです」

(p188)

 だが、ボリシェヴィキには劇場に対する鋭い嗅覚が備わっていた。自分たちのイデオロギーを新たな<宗教>というかたちに作り変えなければロシア人には受け入れられないということが彼らにはわかっていた。

(p194-195)

「首都を見るだけでもわかります。ヴィリニュスは大国リトアニアの首都として建設されました。タリンはいまもこれからもずっとデンマークの村を誇張した町にすぎないでしょう。エストニアの残りの町同様、スカンジナビアそのものです。ラトヴィアはいつも半分プロイセンの国外州だったことがわかります。リガは歴史上ずっと本物のドイツの商業都市でした」

(p208)