倒壊する巨塔 上

イスラム系の名前は同じような名前の組み合わせばかりなので大混乱、しかも中東情勢に関する知識はほぼ皆無の私だが、それでもかなり面白く読めるのは、著者のそこはかとなくギャグテイストすら感じさせる筆致によるものだろう。起きている状況は悲惨なのだが同時に笑える。笑うしかない。どうしてこうなっちゃったんだろうね。
サウジの大財閥家のあまりぱっとしない末弟が宗教に夢中になり、アフガンに渡ってさしたる成果も挙げていないのにそれが誇大というよりほぼ捏造された形で神話としてまとわりつき、ジハードの実行という曖昧な目標以外に確固とした指導力や政治的ビジョンもないまま、おそらくはその潤沢な資金源が主な求心力であったはずの男が、名実ともに無差別テロの首魁になり果てていく過程が、関係者への膨大なインタビューを元に描かれている。
しかしこの人の書き方は本当に上手い。「ヒヨコマメ軍団」のくだりは傑作である。アフガンまで「ジハード」に出かけていったアラブ人六十人、戦場に赴くにあたり、ポケットにはレーズンとヒヨコマメ。あるいはアフガンの司令官が談合しているシーンに、彼らは「マンゴージュースを飲んでいた」なんて一文がさりげなく挿入されていたり。サウジ政府が国勢調査した結果、自国の人口の少なさに「衝撃を受け、すぐさま数字を二倍にして発表したほどだ」とか。状況のスラップスティックさを絶妙に強調する書き口。
ちなみに、反ユダヤの風潮は第二次世界大戦までイスラム側になかったらしい。ナチの宣伝工作にイスラム主義の排外的風潮が加わって発生したという。さらにイスラエル建国がねじ込まれて泥沼化、ということなんだろう。
そして、ここに書かれた中東でも、イスラム原理主義に傾倒して過激化の先頭に立ったのが、アメリカに留学したりしている西洋体験を持つエリートだというのが興味深い。前に読んだ『日本人の戦争』でも戦時中に国粋主義バリバリ発言をかましたのは西洋体験のあるエリートばかりだった。カルチャーショックというのは、受け手側に劣等感を抱かせた場合の反作用が大きい。
あと、娯楽もなく締め付けが厳しく雇用不安定で将来への希望もない状況で若者が暇を持て余しているのは、過激化の温床で危険という指摘は、本邦でも重々認識したほうがいいんではないだろうか。日本の若者は娯楽があるから大丈夫と思われているのかもしれないけど、その娯楽も雇用不安によりろくに享受できない層がすでに発生しつつあるよ。