倒壊する巨塔・下

『倒壊する巨塔・下』 ローレンス・ライト/平賀秀明 訳(白水社

ただ、「果てしなき追跡作戦」が残した最大の痛恨事は、ビンラディンというテロリストを、抵抗のシンボルに祭りあげてしまった点だろう。しかもそのシンボル性たるや、ムスリム世界に留まらなかった。その自己中心的な文化の有り様や、圧倒的軍事力を背景に自国の言い分をやかましく言い立てるアメリカに心底うんざりしているすべての地域において、ビンラディンは抵抗のシンボルとなったのだ。

(p154)

上巻を読んでから二ヶ月以上。ブランク空きすぎて話についていけないかと思ったけど、全く杞憂だった。これほど読ませるルポ、なかなかない。ほとんど小説のノリ。とはいえ、下巻は読んでいくにつれ息苦しさがどんどん増していった。帰結があの9.11テロだとわかっているからだ。
上巻はアルカイダのある意味のんびりした物語だったけど、下巻はFBIとCIAの物語だ。この二つの組織の使命の違いが遠因であろう根深い確執が、指の間から砂をこぼすようにテロを取り落としていく様には、そこに関わる誰もが真剣なだけに胸が詰まる。対するテロリストの側も、彼らの一人ひとりが、家族を大切にするある面では普通の人間の集団だという当たり前のことが描かれていて、そのこともまた起こった事象と引き比べるとどうしようもない気分になる。
本書を読むと、ビンラディンの率いるアルカイダという組織は、全くその直接指揮下にない心酔者が起こしたテロをも、自分たちのパワーの発露であると喧伝(という意識は本人たちには毛頭ないに違いない)して、虚名で太っていく性質の集団だとわかる。であれば、特定の国や地域に対する報復攻撃は全く意味を持たないわけだが、それがわからなかったか、あるいは故意に無視した米国は「帝国の墓場」に足を踏み入れてしまい、今や泥沼に嵌ってしまった。
9.11当日の描写は本書の白眉にして、この圧倒的な事象と記述の前には言葉もない。


ところで、本筋から外れるけれど、ドイツのテロ対策に関する部分が面白かった。

 歴史がこの地に残したきずあとは、容易に見てとることができる。旧市街の復興現場だけでなく、ドイツの法律やドイツ人の性格にも、そうした傷跡がはっきりと刻印されていた。新生ドイツは、その憲法基本法)に寛容の精神を入念に取り入れており、政治亡命者にたいして、世界で最も気前のよい庇護制作を憲法で保障していた。テロ集団と目されている組織でも、ドイツ国内では合法的に活動でき、資金や新兵を集めることも可能だった。ただそれは、外国人テロリストに限った話で、ドイツ生まれのテロリストはその限りではなかった。なにしろ外国人組織の場合、攻撃対象がドイツ国外であるかぎり、たとえテロ計画を立案しても、違法とされないのだ。当然ながら、多くの過激派グループがこの禁猟区のメリットを十二分に享受した。
 過激派グループの捜査には、まず憲法という壁が立ちはだかり、さらにドイツ人がもっぱら自分自身にむける警戒心も障壁となった。かつてこの国では外国人排斥、人種差別、警察権力の過剰な行使が猖獗をきわめた。それらの惨禍を経験したため、ドイツでは過去の亡霊を呼びさますような行動は一律にタブー視された。ドイツ連邦警察はもっぱらその努力を国内の右派勢力に集中させており、外国人グループはほとんど野放し状態だった。ドイツ人が恐れたのは、ドイツ人自身であって、他人ではなかった。国内で策動する外国人勢力への対処法には一種の不文律がある。すなわち、ドイツ自身が標的にされないかぎり、そのまま放置しておけ――というものだ。かつて極端に走ったみずからの過去への反動から、ドイツ連邦共和国は、故意にではないけれど、新時代の全体主義運動のいわばホスト国となったのだ。

(p189-190)