神聖ローマ帝国1495-1806

中身を見ずに図書館で予約したら…素人には厳しい本でした。通り一遍のドイツ史が頭に入ってないと、何のこと言われてるのかさっぱり。しかも最近の学説の動向の話がほとんどなので歯が立ちません。ただ、帝国の諸制度を解説した部分は面白かった。とにかくドイツ人、帝国領内を管区(クライス)に分けて、会議三昧。帝国議会を筆頭に、クライス会議、その下の伯部会だの都市部会だの聖界諸侯会議だの。あまり機能していたとは思えないけど、とにかく数だけは多い。一応は集まって話し合いをしようという姿勢だけは見せるところが(その後ご破算になるにしても)、何となくドイツ人らしい。
著者は帝国の特徴として、「広大さ」、「住民の国際的で多様な構成」、「皇帝位の選挙的性格」、「皇帝の汎ヨーロッパ的要求」、「政治的権威の拡散と複層的な裁判権によって皇帝の支配権が断片的な性格をもったところ」を挙げている。諸侯たちが自分の利害を叫びながらも帝国の維持に努めた…というより、積極的に帝国の廃止を望まなかったのは、対外的な領域防衛の傘としての期待があり、それなりにその期待に帝国が応えていたからなんだろう。複数の領邦を含む地域的区分であるクライスのうち、小規模領主が多かったり、フランスと領境が近かったりする、シュヴァーベン、フランケン、ヴェストファーレン、オーバーライン等のクライスの結束が強く、活発だったというのも理解できる。
ちなみにオーストリア継承戦争プロイセンが侵攻したシュレージエンはクライスに所属していなかったらしい。商工業が発達していたとは言え、地理的にプランデンブルク領からあまりに細長く伸びる地域にどうして侵攻したかな、と思っていたけど、クライスに入ってない地域だったから侵攻しようという気にもなったんだろうなと納得。
結局、小国うごうご状態だったが故に均衡が保たれていた帝国で、オーストリアプロイセンが突出して強大になってしまったから、帝国が機能しなくなり崩壊の契機を作ったということのよう。その後に成立したドイツ帝国からはオーストリアが弾かれ、プロイセンが解消されて、第二帝国とは言ってももうかなり性質の違うものになってしまう。おそらく、民族主義的な統一の欲求というのは、神聖ローマ帝国にはなかったように思われる。