パリが沈んだ日

わりと地味なテーマなのにすごくスリリングで面白い本でした。地理と歴史と社会学が見事にマージしてる。比較的薄い本だけど、内容はみっしり詰まった密度が素晴らしい。
なんとなく想像しにくいのだが、パリはその実何度もセーヌ川の洪水に見舞われている水都なのであった。洪水と言っても、日本で想像するような大雨や暴風雨で一気に増水して一気に堤防決壊、付近浸水というようなものではなく、冬季の雨が時間をかけて川に流れ込み、地下水として地面に吸収され、上流から支流がセーヌ本流に合流していくことで、下流域のパリに至るまでにじわじわと増水し、気づいたときには地下室から浸水している、という長期的で静かな洪水なのだ。さらに、発展していくパリの都市化がこの洪水被害を増大させていく。大都市パリの生活を支える河川として夥しく橋が掛けられ、干拓や運河の建設によって水の流れが変わり、お約束のようにゴミ捨て場にもなって、どんどん平常時の河川水位が上がっていく。近代には地下鉄や下水管が整備されることで、そこから川の水が逆流して、より広域に浸水被害が起きていくようになる。
ほぼ冬の年中行事といったようなパリの洪水が時代とともにどう変わっていったかを、まず地理学的な解説から始め、古代からの洪水の歴史を辿り、現代の洪水対策まで追っていく記載は、目から鱗が落ちるような整理のされ方で、読んでいてほとんど快感。頭の良い人の文章っていうのは本当に気持ちいい。
特にパリ史上最大級の1910年の洪水の様相にスポットを当てた章は素晴らしい。洪水慣れしたパリ市民はほぼ街全域が水に沈みながらも、辛抱強く耐え、できる限り普段どおりの生活をしようとする。その根性に乾杯である。オペラハウスは浸水するまで上演を続けるし、セーヌ河畔には洪水見物の人だかりができるし、水に沈んだ街路に木組みの細い橋が渡されると、すぐさま奥さんたちの井戸端会議場になって、何とか通り抜けようとした男共が水に落ちるという按配。そしてこの史上最大級の洪水での死者は、急激な増水に不幸にも巻き込まれた電報配達員一人だけだった。パリ市当局もかつてない洪水の規模にほぼお手上げ状態で、場当たり的な対応しかできなかったのに、この人的被害の少なさはちょっとすごい。
しかし読んでて呆れるのは、パリ市民たちの懲りなさと、廃棄物に対するエゴイスティックな無頓着さである。中世の昔から橋の上にうず高く家を建てては、何度も橋ごと洪水で流されるということを繰り返していながら、ずっとこのやり方を続け、ついに橋の上から家屋が撤廃されるのは、しぶしぶと言った風情で17世紀になってからだ。ゴミは昔から当然のようにセーヌにぶん投げてお終いだったのだが、1910年に至っても、ゴミ処理場が停電で動かないからと言ってまたしてもセーヌに全部投棄したりしている。案の定、増水した川に掛かる橋に全部引っ掛かって下流の街で大ブーイングである。屎尿処理もできなくなり、全部セーヌに流していたらしい。当然、浸水した地域に流れ込む。
なるべく自分たちに都合の良い楽な方法を貫き通して、何度も失敗した挙句、さすがにこれはね…という頃になって、やっと重い腰を上げて対策するという姿勢。まあこういう図太い神経のほうが、災害都市で生き抜くには良いのかもしれない。