流離譚 下

読み始めた先から仕事が祭りに突入し、あまり集中して読めなかったのが残念だった。どうしても安岡三兄弟を中心に描いているし、幕末の大まかな歴史的出来事は頭に入っている前提で書かれているので、私にはよくわからない箇所が結構あったけれども、しかし読んでいてとても心打たれる箇所がいくつもあった。近代的戦法から見た攻城戦の稚拙さと会津士族の悲壮なメンタリティを描いた会津攻めのくだり、著者が覚之助の戦死した場所を訪ねるシーン、梁川に移り住んだ本家の人々の苦節と確執、著者とその従兄が荒れ果てた小高坂の墓地で文助の墓を探すシーン。安岡章太郎の文章は、地味に淡々と資料と史実を追っているようで、著者が膨大な資料に当たりながら心に浮かんだだろう深い感慨を伝えて、心揺さぶられるくだりが多い。それはドラマチックな感動ではなく、まさに自分がその過去の人の立場であったら、その変転をどう受け止めただろう、どう感じただろう、という共感に支えられた推察に基づくから、身に迫って感じられるのだ。
しかし、幕末から明治維新にかけての史実をほとんど押さえていない私が読んでいても、当時の「維新」たるものの八方破れ加減と野蛮さを思い知らされる。安岡章太郎は当時からすでに見られる日本の翻訳天国ぶりに言及し、例えば民権運動の旗手であった植木枝盛が外国語は全く知らないまま、翻訳書だけを読み漁ってあれだけの意識と理論を身につけたことを書いている。同時にそれはどうしても、翻訳というプロセスを経ることで曲解や都合のよい解釈で流布しがちであることも指摘しており、つまりは民権運動は急ごしらえのバイアスが否めない思想輸入に拠っており、輸入した思想を彼ら自身のニーズに合わせて変形させて土台にしていたというわけだ。
板垣退助をはじめとする土佐の活動家が、外圧と身分制の行き詰まりに背中を押された勤王攘夷から維新後には民権運動に転じ、そこにキリスト教の浸透も加わっていくという流れは、私にはちょっと理解しがたいところがあった。けれども、そもそも勤王が天皇キリスト教で言う神に見立て、その下での平等を求めるような思想から発していたとすれば、自然な流れだったと言えるだろう。そしてこの希求は、「勤王」を文字通りの中央集権体制の確立を目指すものと意識していた中央政府とは真っ向から対立するものであり、結果として福島事件のような弾圧に至ったのだろう。当時の中央政府の末端機関である県正や警察は現代の人権感覚からは考えられない横暴さで、意識の上では、武士の切捨て御免が罷り通り、殿様の鶴の一声で腹を切らされた江戸時代をそのまま引き摺ったものと言うしかない。
これを読むと、大阪の「維新」の会とやらが、一体どれほど胡散臭く、一体どの辺りを目指しているものなのか、非常によくわかる。