大阪−高野山−吉野

tatsumidou2012-05-24

大阪に行くついでに高野山と吉野を周ってきた。学生時代関西に居たのに、この2つは行きそびれていたんだった。
まずは大阪に移動。祖母のところに顔を出し、一日母の話し相手をして、難波に投宿。そこから翌日に早朝から高野山に移動である。
早朝の道頓堀で、久々に見たので記念撮影。グリコの看板健在。
難波から南海特急で橋本まで。実は一本前の急行に乗れたのだが、特急券を買ってしまい、貧乏旅行勘の衰えを実感する。手間を金で解決しようとする社会人駄目だ。まずは時刻表を穴が開くほど確認すべしという鉄則。
橋本から高野線ローカルに乗り換え、ここからいきなり登山電車でうはうは。さらにケーブルへ乗り換え。

かなりの急勾配。車内放送が英語と、何故かフランス語。
ほぼ始発に乗ったおかげで9時過ぎに高野山に着くという快挙。まずは宿に荷物を預けに行く。

今回止まったのはこの宿。高野山唯一の国民宿舎高野山には宿泊施設が宿坊しかない。あとでユースホステルもあると知ったのだが、それもお寺の宿坊だ。国民宿舎も勿論宿坊。クオリティはいろいろだそうだが、予約のときに宿坊組合のサイトを見た限りでは、全体として温泉旅館級の設備とお値段だ。外国人客も多いようで、英語対応可能とか、ウォッシュレットや部屋風呂ありますとか、そんな感じ。あまりに数が多くて選べないし比較的高いので、値段だけでここを選んだのだが、どうやらここはいろんな意味で有名なお宿だった模様。詳細は後ほど。小さいけど門構えが渋いお寺さんだった。
玄関口にあったインターフォンに気づかず、しばらく人を呼びつつ玄関口をうろうろした挙句、たまたま通りかかったお姉さんをやっと捕まえて荷物を預かって貰い、山内観光へ。
宿の近くの女人堂を見物してから金剛峰寺へ。山内の共通拝観券を買う。二千円也。金剛峰寺の蟠龍庭。

ここでお茶とお菓子をいただく。

大師教会に行って菩薩戒牒を貰う。こういう儀式初めてだしお経も知らんので、まるで紛れ込んだ外国人だった。他は皆さんお経もご存知で真剣にお参りに来た参拝者ばかりだった。

次いで大門。

壇上伽藍。

奥の院は完全に墓地だった。ただし、由緒あるセレブ墓地。武田信玄とか伊達政宗とかの戦国武将の墓から各大藩当主家の墓、時代が下ると大企業の従業員供養碑や旧日本軍の戦没者慰霊碑などところ狭し。
一切バスを使わずに歩き回ってさすがに疲れたので珈琲休憩。

さらにお茶休憩。おやつしすぎである。

お寺やお店には至るところにこういう切り紙細工が貼ってある。後で宿の住職に訊いたところ、高野山特有のお守りだそうで、龍が多いのは今年の干支だからだそうだ。

宿に戻ってお部屋に入れてもらう。宿坊らしい宿坊と言われていた理由がわかった。四畳半一間テレビなし風呂トイレ洗面所別アメニティ浴衣のみ布団セルフ素晴らしい。もういっそ自炊もさせて貰いたい。しかも宿帳を眺めていると部屋が傾いているとの声多数。確かに傾いている。でもこういう宿嫌いじゃないぜ☆
廊下にやたら旧海軍関係の写真が貼ってあると思ったら、ここは海軍通信学校同窓生の菩提寺だそうだ。戦艦大和の写真とか終戦の詔の全文とか貼ってある。
宿泊客は北海道から来たご夫婦、父親と息子さんの二人連れ、フランス語圏の女の子二人組みと、やはりヨーロッパ系の男性一人(後でスイス人と判明)。二日間泊まったが、概ね空いているようである。前日が満室と言われたのは、団体さんでも入っていたのかしらん。
暇なので18時頃から布団敷いて本読みながらごろごろ。
晩御飯の精進料理は質素ながら美味しかった。おひつの御飯完食する勢いで食べてたので写真撮りそこねました。後は風呂入ってごろごろして寝る。さすがに高野山では酒は飲めまいと思っていたけど、酒なしでも十分いつも通りの駄目な生活でありました。